宮城県気仙沼港の遠洋まぐろ延縄漁船 勝栄丸 (SHOEIMARU) のブログです。勝倉漁業株式会社が運営する勝栄丸ブログでは、まぐろを取り巻く世界情勢や国内の動き、地域の情報などについてお知らせ致します。

2020年03月12日

9年前の東日本大震災の記憶


気仙沼にも甚大な被害をもたらした東日本大震災からきのうで9年が経ちました。 震災当時を振り返って、過去の写真をひとつひとつ見直しながら、震災時の様々な光景・記憶がよみがえってきました。

2011年3月11日はとても寒い日でした。 その日は、七十七銀行の頭取をお迎えしての毎年恒例の経営懇談会が盛大に開催される予定で、普段の作業着ではなくスーツを着て出社していました。

午後2時46分、事務所で仕事をしているとこれまでに経験したことのないような揺れに見舞われ、机の上の書類などを散乱し、これは津波が来ると社員に避難を指示。 事務所内の重要書類やパソコンなどを3階に移動して海を見ると、内湾の海水がぐんぐんと引いていくのが確認できて。 これはやばいぞと。

その直後に黒い海水が押し寄せてきて、私たちは2階から3階に避難し、眼下に迫った大津波に恐怖を感じながらどうすることもできずに、これ以上高くなるなよと祈るしかない私たちでした。 幸いにも事務所から避難した社員は全員無事でしたが、壊滅t的な被害に気仙沼は終わったと一瞬思ったのも事実。

何度も押し寄せる津波がだんだんと低くなって助かったと思いきや、今度は湾の入り口付近から海上火災が発生。 風にのってだんだんと近づいてくる真っ赤な火に、風向き次第では焼け死んでしまうと、社屋3階からの脱出を決意。 泥だらけになりながらもみんなで助け合って、裏山に逃げることができて。

海岸の道路は車や家屋や電柱などが折り重なって、がれきの山で移動することができない。 丘の上から鹿折地区を見渡すと、数えきれない漁船が陸上に打ち上げられていて、いたるところで火災が発生し、まるで地獄のような光景でした。 これが私が見た東日本大震災発生時からの光景と記憶です。

きのう3月11日の2時46分には、事務所での作業をいったん中断して、サイレンの音に合わせて社員とともに黙祷を捧げました。 震災でお亡くなりになったたくさんの犠牲者のご冥福をお祈りいたします。 

震災から10年目に入り、復興にはまだままだ程遠い気仙沼ですが、少しずつ様々な動きもでてきたので、これからも協力し合いながら頑張っていきたいと思います。 皆さんそれぞれに東日本大震災の記憶があるはずで、一年にいちどの3月11日は、当時を思い出し、気持ちを新たにする大切な日となっています。
  

Posted by 勝倉漁業株式会社 at 09:07